公益社団法人鶴岡青年会議所 2013年度理事長所信
2013年度理事長
渡邉 孝之
鶴岡青年会議所は1967年の創立以来、多くの先輩諸氏がJAYCEEの志を引継ぎ、成果をあげてきました。その志を引継ぐ私たちには大きな可能性と責任があると確信しています。
近年の日本の状況は、第二次世界大戦後市場経済の領域は飛躍的な拡大を続けてきましたが、最近では、成熟ないし飽和ともいうべき状況が見え始めてきました。また、関心事の多様化も加担し、さらには人口減少など様々な社会問題も増加しています。
さらに世界に目を向ければ経済発展の一方で、国の利害関係の対立から緊張感と不安定感の度を増す国際情勢や、多発する自然災害などさまざまな場面で地球規模での環境変化が深刻な問題となっています。
そのような問題を解決するには、社会を構成する私たち一人ひとりが関心を持ち、取組まなければなりません。行動し続けてきた鶴岡青年会議所、そして、そこに集うメンバー一人ひとりには大きな可能性があります。
まちは、私たちを生活と経済の両面で支えてくれるかけがえのない基盤です。そのまちが直面している課題や変化に今こそ、私たちが笑顔あふれるまちの姿を思い描き、物事の本質を問い直すという、確かな一歩を踏み出して行くことが大切です。自分たちの可能性を信じて進み、大いなる成長と一生の友情をこの手につかみましょう。
地域で暮らす人々が、個性豊かな人間性を形成し、自立した個人として地域で行動できるひとづくりを行います。
今、私たちは平和に浸りきっている中、社会問題に対する意識は高いが、なかなか行動へは移せていない現実があるのではないでしょうか。平穏であることを何よりも大事にし、解決すべき問題があるのに関わり合うのを避けたり、決断することなく問題解決を曖昧にしたり、放置したりする。事なかれ主義になっていないだろうか。しかし、意識を行動に変えようと思っても、最初に意識を変えることには高いハードルがあります。
例えば、人と会うことは「会おう」と気合いを入れなければできないことです。会って話しをしているうちにフィードバックが返ってきて面白くなってきて、そのうちに人間関係も広がってきます。また、組織の中では、人に何かを頼むことも大切です。頼んでみると頼まれた人が予想外に喜んでくれることがあります。人に頼りにされるのはうれしいものです。いきなり大きなことをするのではなく、まずは小さなことから行動して行けば、双方の関係を築け、お互いのことをよく知ることができ、共通の考え方や価値観に基づいた関係が築けます。その関係により、お互いが以前の自分と意識が変わったかどうかという視点が生まれてくるはずです。
現在、全国の青年会議所の現状は会員減少が一途を辿り、鶴岡青年会議所においても深刻な問題として会員拡大に力を入れてきました。会員拡大は一人の力ではなく、誇りある鶴岡青年会議所の一員として意識を変えて、出会いの場であり、共に成長できる場所であることを自分自身が再認識し、未来へ繋がる魅力ある組織であることを伝えていかなければなりません。さらには、地域から頼られ期待に応えられるJCとして、「英知」「勇気」「情熱」をいずれも欠くことなく行動し続ける青年を育成していくことを約束します。
人の話を聞いているとき、その反応として心の中に共感や反感が生じて、すぐさま賛成や反対の意見を表したくなります。耳を傾けながら、相手の表情の微妙な変化に目を凝らし感情を知るように、人間の感覚はスイッチを入れないと閉ざされたままです。しかし、その感覚を磨くことによって限りなく研ぎすまされていきます。自分と異質の考え方に出会って自分の考え方が変化したり、相手の考え方が変わったりします。それらの考えが組み合わさった時、新たな創造へ発展する出発点になります。また、時には我慢というプロセスの中にも、耐える楽しみというべきものを感じる時があります。その成功体験が得られることで、心や体が覚えこみ、我慢が習慣となり、性格となって人間的に成長していく状態こそが修練なのではないでしょうか。
また、明るい豊かな社会の創造を目指し、鶴岡青年会議所で活動する機会を与えられた我々には、LOM内だけでなくLOMを越えた会員同士の交流の機会もあります。青年会議所で行う多くの事業に積極的に参加することにより、自らの手で作り上げることの大変さや充実感を体感することにより、一人ひとりが人として魅力を高めることができます。時には議論を重ね、時にはぶつかり、また喜びを共有し、切磋琢磨し合い共に成長し、仲間との一体感を得ることができる団体、それが青年会議所です。さらに、事業を行うにあたり他団体や地域住民との連携と交流を図り、運動の目的を伝えることで、地域を想い未来へと繋がる「OMOIYARI」の精神を育んでいけると確信しています。この恊働運動が地域を輝かせ、自己の修練がもたらす人としての個性や創造性を発揮できる。それこそが「人生最後の学び舎」といわれる青年会議所の魅力となり、地域社会へ還元し続けることができるはずです。
日常の中でも、互いの意見の対立や不適応は、知識の不足から起こるのではなく、感情の問題から起こっていることが多いように感じます。しかし、無関心や責任転嫁という立場ではなく、自分自身が自己革新を図らなければなりません。それは、本来の自分らしさをなくしたりすることではありません。より大きな自己実現を目指して、意志の力によって、感情やものの見方や考え方、態度や行動を統御していくことで明徳を明らかにし、結果をもたらすことができるということに気づき、「自分が変わらずに周りは変わらない」という気概を持って行動し続けていきます。
次代を担う子供たちが、豊かで安心して暮らせる社会を形成しなければなりせん。先人達から受け継がれてきた、継承すべき優れた文化や伝統、誠実さや勤勉さ、互いを思いやり協調する和の精神、自然から学び調和しようとする心が、生活の中で大切にされてきました。そうした伝統や文化を誇りとしながら、これからの新しい時代を積極的に切り拓いていく子供たちを育んでいかなければなりません。
科学技術の発展や高度経済成長社会の実現により、社会の姿が大きく変貌しました。そして、現代はテンポが速く時代の流れが急変しています。「地球環境問題・エネルギー問題・食料問題」など人類の生存基盤を脅かす問題、「教育問題・いじめ自殺問題・人口減少・高齢化」など社会の仕組みを脅かす問題が、格差を拡大し更に厳しさを増していく時代に感じます。このことは、人類にとって厳しい危機の時代であることだけを意味する訳ではありません。私たちには、人間環境の改善を図り、共に平和と幸福を享受して生きていける、明るい豊かな社会を創っていくという夢のある大きな課題を与えられているのです。
このような認識に立つ時、時代を担っていく「かけがえのない存在」が、未来への夢を持つことで希望を持ち、創造的で活力に満ちた豊かな社会を創る営みや、地球規模の課題に興味を持ち、それに取り組み、社会の中で信頼される人間として育っていく。「かけがえのない存在」が、自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考える力、正義感や道徳観等の豊かな人間力、健康や体力を身につけるための生きる力に繋がる、「知・徳・体」のバランスを持った取組みを創造していくことが大切であると考えます。
地域で暮らす人々がまちに誇りと愛情を持ち、いきいきと働き、活動できるまちづくりを行います。
我々が暮らすこの地域には、古くから、様々な人びとを受け入れてきました。また、そこで生活してきた先人の存在と遺してきたものがあります。それは、地域固有の「歴史・文化・伝統・自然・精神・人・食」等などに至る「たから」です。その地域の特性が持っている意義や価値、人を受け入れるための施設等の整備を、共存共栄すべく方策をめぐらせ現代へと環境を残してきました。しかし、現代ではあらゆるところで快速便利な環境を尊ぶ価値観になりつつあります。地域に関する情報も、今は情報通信技術の発展・普及に伴い、誰でも必要な情報を検索することができ、自分の情報発信もできるようになりました。反面、地域コミュニティの衰退と人間関係の希薄化、地域の祭りなどの担い手不足に危機感を感じています。
情報とは自分が動いた時に入ってくるものが本当に大切で、データなど静的な情報しか見ていないと情報の動的な面が見えません。そこにあるものではなく、作るもの、事象の中から出現するもので、自らがコミットしなければ得られないことです。また、この地域の魅力は、人々が心豊かな生活を実現していくうえで不可欠なものです。人と人との関わり合いから民に親しむことにより、自立した郷土愛溢れる地域の創造に向け、一体感を感じることにより魅力溢れる地域の未来へと動き始める。そして、人々が誇りを持てる地域の輝く未来に、青年としての確かな一歩を踏み出していきます。
今の地域はアイデンティティによってではなく、都市の都合による経済的価値、役割を強いられていると感じます。例えば、観光面ではただの通過点になり、そこに根付く本当の価値に触れることが難しくなってきていると感じます。歴史を振り返ることで、その土地らしいあるべき姿を見出すことができるのではないでしょうか。
議論を尽くすことは大切なことです。しかし、机上の理論だけでなく、まずは現実を知り、感じて現実と向き合い受け止めることが大切なのではないでしょうか。長い景気の低迷、財政赤字など重大な問題を抱えている中、加えて震災後の政治に対して、国民の不満や不信が募るばかりです。これを解決に向かわせることができていない批判一辺倒のマスメディアの責任も大きいと思うが、ネガティブな情報にとらわれず、本質を見抜く力を養わなければなりません。また、政治や社会問題に対しても、問題の責任転嫁や仲間内で終わせるのではなく、自らの意志を持ち行動・発信していく責任ある個人が参画し、時流に合った解決策を導き出す必要があると考えます。私利私欲にとらわれることなく強く前進し続けることで、次代に誇れるアイデンティティを確立し継承していきたいと考えます。
すばらしい環境の恩恵を授かる我がまちの可能性を最大限に認識し、その未知の可能性に対して、今後どのようにアプローチし、必要な行動で実践しながら「地域のたから」を輝かせていきたい。
「常に変化の途中にある。その変化が全て修行なのだ」と。
そのことを身をもって知った時に、苦労と葛藤が作り上げた土台の上に築かれた笑顔が自ら生まれてくるのではないでしょうか。独自性を高め、表現することにより、地域の活性化を図ると共に、地域内外への情報発信はもちろんのこと、安全対策や周辺対策への対応も検証していかなければならないと考えております。多くのファンに支えられる「赤川花火大会」、たゆまぬ努力の末に仲間との真の笑みを身につけ、そして、自分だけでなく、地域に住む人、次代を担う子供達を勇気づけてくれる笑顔と感動へ伝播して行くと思います。更には、みんなが誇りを持てる花火大会への発展を目指します。
私は、18年前の4月神戸で凄まじい光景を目の当たりにしました。震災後の現実は想像を遥かに超えたものでした。翌日から軽トラックと地図を預けられ一軒一軒訪問の毎日。被災者でない私が、被災者に向かって軽々しいことは言えない思いを受けました。誰もが不安と孤独の中にいるなか、私にできることは話を聞くことでした。現実から目を背けることではなく、声の掛け合いこそが必要と感じました。
東日本大震災から2年が経とうとする今、現地の状況は変わっていません。「あの悲惨な災害があったからこんな風になれた」と思えるような未来に向かい、一歩一歩前に進み続ければ必ず希望の光が見えてくるのではないでしょうか。
時代に左右されることなく本質を押さえた、本来のあるべき姿は変えてはならない不易なるものをベースに、時代時代で変化して行く流行を取り入れる捉え方で、何を伝え、何を残して行くべきなのかを考え、私利私欲にとらわれることなく、揺るぎない信念を持ち行動し続けることで徳性を磨き上げ、今まで以上に故郷を愛することで磨き上げた徳性を周りに広めることによって、至善に止まることを目指し実践行動することができる。頼られ求められるJAYCEEになれると確信します。
そして、「自分たちのまちは自分たちで創る」という気概を持ったメンバーが個々の力を結集し、オリジナリティと行動力を持って「明るい豊かな社会の実現」に向けてひとづくり・まちづくりに取組みます。